自己を管理するってどういうことなの⁉

マスターマインド(以下マスター): たけじくとやら、今日は何を知りたくて参ったのじゃ?

たけじく : この前仕事に遅刻しちゃいまして、上司にこっ酷く怒られたんですが…

マスター : ふむふむ。 それで、何が知りたいんじゃ。

たけじく : その時に、「仕事に遅れるとは自己管理がなっとらん」と言われたので、謝りつつも、上司に、自己管理って、時間管理の事ですか、って聞いてしまったんですが…

マスター : 火に油を注いだのじゃな(笑)

たけじく : その上司曰く「自己管理は自分を管理することに決まってるだろ、社会人として時間を厳守するのは当たり前で、次の日の仕事のために体調を管理するのも自己管理だ」と言ってました。それは分かるんだけど、それだけだと毎日のことだし何か自己管理って窮屈で、キツっって思っちゃいまして(笑) そこでマスターに、このもやもやを払しょくしてもらいたくて、今日も心の交通整理をお願いします!

マスター : では質問じゃ。 お主が感じている窮屈な思いは、毎日遅刻しないで仕事に行かなければならぬという事に対するものか?

たけじく : う~ん、社会人として遅刻しないのは当然とは理解してますが、何というか毎日管理って思うと気が重いというか…

マスター : それは管理という言葉の一般的な意味自体にも関係している部分もあるが、お主自身が自己管理という言葉に必要以上の思いを持っているという事でもあるのじゃ。 ところで自己管理を一言で言い表す時、お主ならどのように表現するのじゃ?

たけじく : さっきの上司じゃないけど、やっぱ時間管理とか体調管理とか… ま~ 何というか自分を見張るようなイメージですかね。

マスター : 確かに、お主の認識する自己管理というイメージでは、自分を見張り、できない自分がいればそれを責め、結果として自分を追い込んでしまう、それでは苦しいのう。

たけじく : なるほど、自己管理という言葉に対する思い込みを書き換えればいいのか。 でもどう考えればいいのか??

マスター : 今から話す2人の上司のどちらの部下としてお主は働きたい。 一人は部下を信じないため権限を与えず、常に見張り、失敗をみつけたら責める上司、一方は、部下を信じ権限と自由を与え、失敗しても前向きにやった姿勢自体を評価してくれる上司。

たけじく : そんなの後者の部下を信じてくれる上司に決まってますよ!

マスター : ならば、なぜ自分自身に対してはそうしないのじゃ。 そのことはお主が自分に向き合うときにも大切なこととなるのじゃぞ。 お主が自己管理が必要だと考え実行するとき、自分を見張り、追いやるため窮屈になる、人によっては気づかぬうちに自分で自分を牢屋に閉じ込めてしまっているような者もおる、それでは不憫ではないか。 閉じ込めるのではなく、解放するのじゃ。 信念の方向に自分を解放するのじゃ。 言い換えればやりたい方向に自分を解放するとも言える。 しかれば、例え同じ事をやっていても、その者はは自ら選んだ道を歩んでおるから充実しておるだろう。 もちろん何事にも試練はつきものじゃ。 そもそも簡単に成し得る物事に信念など必要ないからのう。

たけじく : なるほどー 自己管理っていうのは、信念の方向に自分を解放するっって事なんだ。 それなら前向きに取り組めそうです。 マスター、今日も心の交通整理、ありがとうございました。

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